もはや、日本人は誰一人として、天皇の戦争責任を問わなくなった。その確たる証拠は、先ず現憲法は「主権在民」と「民主主義」、「恒久平和の協調外交」の三点を掲げてこの理念に邁進することが謳われているが、昨年10月28日に発表された、自民党新憲法草案の前文はこれらをことごとく分類化して、象徴天皇制の下に収納された条文になっている。帝国憲法の2005年度版の書き換えに等しい様態である。具体的には現憲法の天皇の地位は『日本国民の総意に基づく』となっている。即ち、改憲時においては、国民の意思に基づいて地位の確定ができる当たり前の選択肢があったのに対して、新草案では、『自らの意思と決意に基づき、象徴天皇制を維持する』、日本国民は天皇制を恒久的に維持するという決定事項、もはや選択肢はない条文になっている。このように表現すると、直ぐに戦後天皇制論議では、維持、廃止かの舞台で、とんでもない提議だと一蹴されてきたし、圧力も掛けられてきた。
しかし、新草案の前文にも謳われているように、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重を前提に考えれば、これは廃止論ではなく、「在り様論」の是非是非論を国民論議としなければならないということであろう。しかし、国民論議しなければならないことが、『日本国民は・・・責務を共有、不断の努力、力を尽くす』という命令義務的表現だと承認した場合は、天皇制による国民の主権、天皇制民主主義、天皇制自由主義でしかないことを正式に個人が黙認したことになる。結局は、戦前と現在のファッションの違いでしかなくなる。
さて、29日は何の日か、「みどりの日」ぐらいは、祭日だから国民はよく存知あげている。しかし、来年から衣装変えして「昭和の日」になることについては、いささか知る由もなく、来年名称変更で気が付く程度だろう。既に法案が定められている訳だから今更ということだと思うが。
それならば、無関心、ほっ被りを装うのも一つの手だろうが、また、現在、多種、多様な問題を抱え、特に、共謀罪、教育基本法改正が危ないと声高に叫ばれる状況にあって、済んでしまった事、来年からということで打棄っている致し方ないマスコミ、市民運動的諸事情を考慮すれば「どうすることも、仕方ない結論」で終止符を打つつもりか。しかし、ことはそう簡単な問題ではない。既に昨年11月末に昭和天皇裕仁在位五〇年を記念して造られた立川の「昭和記念公園」の中に、「昭和天皇記念館」が開館した。それを運営、管理する財団は政府・財界・神道関係者などの面々が名を連ねている「昭和聖徳記念財団」である。文字通りの昭和天皇の聖徳を称える記念会館である。展示内容は、戦争に反対し、平和を希求し、みどりを愛した昭和天皇という、敗戦により人間となった戦後の天皇の履歴を称えたもので、正式には、「戦後昭和天皇記念館」にしなければ、日本の価値観の遊離結合の歴史、近代日本の本質論を空洞化させる目的の為の変質したものになっている。即ち、昭和を戦前20年間と戦後44年間と分断して、戦争の20年間の歴史を滅却する暴挙、あってはならないことが白昼堂々と行われた、実施されるという事実が昨日の日本の現況、日本人であるという歴史証拠の日であった訳である。
武士の情けで、黙して語らずを察しても、毎日新聞の社説(各紙で唯一、みどりの日について論じた)[社説:みどりの日 中高年の活力を森作りにも]というのにはびっくり魂消てしまった。今流行の団塊世代の地域的森林ボランティアの進めが地球温暖化防止と環境教育に一挙両得的だと紹介しているのである。毎日の視点がこの方向に向いていることは、反って正直と言えるかもしれない。もはや、私達はマスコミに何らかの政治、社会的指針を期待してはいけないという明快な回答を受け取ったと理解して、来年の4月29日の社説を楽しみにすることにしょう。兎に角、余興は良いとして、29日「昭和の日」を検証、糾弾する全国での市民の集会も風前の灯になってきた感じがする。皇室においても政界、いかなる会でも良いが、女性が優しく微笑むポーズさえとれば、それは全て美談、尊重されるべき事柄として、「皇室典範改正論議」も棚上げになる世の中である。国民の関心ごとは、「どちらでも良い」、民主党に例えれば、「一度もやっていないから、小沢氏に代表をやらせよう」という類の思いつきで候補者そっち退けの補欠選挙に勝利するご時世である。近年、自衛隊の支持率(内閣府調査・2月)が鰻登りの85%になり、その存在意義が益々重要性を帯びてきた。また、天皇制に至っては、野党全てが合意している背景は、やはり、国民全てが認めている。新憲法草案前文の自信、責務という表現はこの辺から来ているのだろう。最早、天皇制論議は時代遅れも甚だしいとの指摘も聞かれるが、戦前20年の天皇戦争責任を検証、何らかの形で具現化しなければ元の木阿弥、戦争への道を歩むことになる。本質的に昭和の時代が終わっているとは言えない。
今年も各地で集会が企画されている。大阪では、「 反戦反天皇制労働者ネットワーク」が40名程度の「昭和の日」抗議集会とデモを実施した。しかし、近年「その声」は弱まり、小さくなるばかりだ。9条改憲の反対運動、論議が国民化する時勢にあって、改憲前文への反対運動が皆無なのには戸惑いと恐れを感じる。やっと、20条、24条への視点が論じられ始めた。今年は前文に対しても反対の声を作っていかなければならない。自民党は第2次草案を準備している、その内容は草案前の原案、より帝国憲法的天皇制重視の前文になると考えられる。原案は「天皇を国民統合の象徴として戴き、和を尊び」となっていた。この原案で最も注目しなければならない文言は「和」という言葉である。自民党の「和」とは、古来天皇制による身分制度を表しているものであって、現代版、格差社会による階級層その上下関係による協調、従属関係の強化を意味するものである。これは即ち24条にも当て嵌まっていくことがらでもある。兎に角、前文に「天皇」と「和」という言葉は必要ない。現憲法は多大なる犠牲の下に、当時の日本人が苦渋に満ちながらも会得した、真実への真摯な試み、希求である。断じて、憲法の上に日米同盟があってはならないのと同じように、国民の上に天皇制を君臨させてはならない。
忘却とは、歴史を抹殺する行為であってはならない。

