痛い政治ニュース

2010年 痛い政治ニュース 速報版

2006年07月

北朝鮮 ミサイルと注意人物


26日、朝日新聞大阪はトップ記事に真珠湾攻撃の政治ニュースを掲載した。8月15日が迫り、毎年何かと昭和天皇に関する貴重な資料が発見される。今回の45年9月25日、ニューヨーク・タイムズ記者とUP通信社長に回答した文書もその一つである。文書については記事を読んで判断して頂くとして、ここではタイトルの「注意人物」についてお知らせしておく。
一面のトップ記事の真下に、この文書についてのコメントが掲載されている。タイトルは「国体守るため個人に責任」とある。筆者は五百旗頭真(いおきべまこと・神戸大大学院教授・政治外交史)とある。
実は注意人物というのは、筆者当人のことである。



ミサイルブームの今日であるが、実は五百旗頭教授は北朝鮮ミサイル発射に対する戦略専門家であることは余り知られていない。教授が頻繁にハーバード大学へ客員研究員として渡米していた次期がある。4年前に遡るが、このハーバード大学での研究が対北ミサイル防衛戦略論である。
ハーバード大学は、開校当初から軍備技術開発さらに戦略立案面で活躍している国防省と二人三脚の大学である。広島への原爆投下は、当時の総長ジェームス・コナントが計画を推進して投下を主張したといわれている。キューバ危機の後、冷戦終了後は、専門学部として「ケネディ・スクール」と改名された。問題は日本の大学にも戦略的研究学部、教室を創設するというハーバード大学構想が具体的に持ち上がったことである。既に、中曽根前首相が上記の設立を提唱していることが2000年9月10日の読売新聞で報じられている。そして、常に権力の凄まじいところは、提唱記事がでれば直ぐに実現していくことである。理念先行がいつも揶揄される市民の運動とはここが完全に違う。



2001年、神戸学院大学、大阪大学、慶応大学、愛知文京大学、北陸大学と現実にゼミ形式で実施される。そして、2002年10月、神戸大学においても五百旗頭教授指導により「自衛官と学生の共同有事研究<」の実施が計画される。これで、教授のハーバード大学での研究がどのようなものであったか一目瞭然となった訳である。また、計画された共同研究の内容がどのようなものであるかは、既にその前年に実施された大阪大学学生のレポートで知ることが出来る。学生は自衛官との有事に関する対処を徹夜合宿で行い、未明疲れきった肉体と精神状況で、学生に対して北朝鮮がミサイルを発射した模様ですと自衛官が連絡、迎撃の決断を迫るというシナリオだそうだ。正に、今回のミサイル発射問題で安部官房長官、額賀防衛庁長官が此所一番と持ち出した「敵基地攻撃論」の実践が既に5年前に学生(戦略要員候補生)と自衛隊員と共にシュミレーションされていた訳である。



神戸大学の「有事研究」計画は事前に学生の知るところとなり、学内の学生ならびに教職員さらに市民の反発が相次ぎ、大きな学内問題となり結果的には実行されずに計画は中止された。これが2002年11月の神戸大学「有事研究」阻止事件である。事件と書いたのは、この時、学内の「神戸大学の有事研究を許さない会」と学校当局とで攻防があった訳だが、しかしこの時代背景では未だ学生の逮捕者が出るということはなかった。しかし、この学校側譲歩の一件から後、各大学は警察との一体化対策で連日の如くの逮捕劇が繰返されている現状は記憶に生々しい。そして、第二次小泉内閣発足後、一気にファシスト的弾圧に政権が様変わりした。つい1週間前のあっけに取られる「月桃の花」歌舞団員の逮捕など最たるものである。



7月20日、「防衛大学校長に五百旗頭真氏」のタイトルで記事が掲載された。そして、23日、毎日新聞「時代の風」で「防衛大学校の教育・国民の生命 担うために」が掲載された。さらに、27日、読売新聞「顔」に「第8代防衛大学校長に就任する」の紹介記事が出た、連日のマスコミ登場である。教授はこれらの欄で自らも被害を受けた阪神淡路大震災からの教訓を述べて、自衛隊の必要性を強調している。そして、自衛隊を「国民の生存の最後の手段として用意されている装置」と定義付け、今日自衛隊に求められているのは「多機能弾力的」なあり方が望ましいと説いている。それが、04年の「<安全保障と防衛力の懇談会」(未来への安全保障・防衛力ビジョン)の参加となる。ご承知のようにこの懇談会は「在日米軍再編」の基盤となった「2プラス2」への提言書を担うものであった。



さすがに小泉首相肝煎りだけあって言うことにそつがない。「多機能弾力的」とは巧く言ったものだ。災害救助からミサイル防衛までを言い包めているのだろう。しかし、よく考えれば、教授のこの発想は、硬いことを言う訳ではないが、憲法9条1項に抵触している。自衛隊を手段として弾力的機能化を計ってはならない。最近、自衛隊との共存、自衛隊3分割案、「専守防衛<」、「国際協力」、「災害救助」改編案等が流行りになってきているが、これは「多機能弾力的」の別モデルに過ぎない極めて危険な案である。災害救助は「救助」であり、専守防衛は「攻撃」である。救助と攻撃は全く異種語義であり、呉越同舟は出来ない。大規模災害に対する行政課題を棚上げにしておき、災害時に取り合えず自衛隊派遣でその解決を肩代わりさせ、これを妙案とするのは拙速もよいところである。結果的にこのような論議が野党から出ていることに改憲論議の根拠、温床を与えることになっている。


 

話を五百旗頭真教授に戻す。毎日新聞「時代の風」の冒頭、教授は防衛大学校長に就任したことで、「喜んで祝福してくれる人が多いが、なぜ、あなたのような人が、といぶかる知人もいる。私が軍事関係者のようでなく、リベラルに見えるので意外に感じるという」。ここで問題は、リベラルと平和主義者が同義語的に世間では共通的風潮扱いになってきている懸念だ。いよいよ、日本人は「平和」の言葉の意味を曖昧模糊化して「戦争」に対する責任回避、加担意識の除外を助長してきている。さらに、「正義の戦争」という言葉、リベラルを信奉してそこに「平和」を位置づけるという儀式、システムが日常化するのも時間の問題である。
文の冒頭は「喜んで祝福してくれる人が多いが」とある。常に周辺だけが熟知しているが、肝心要の国民が適切な判断が出来ない状況に今日ある。単純にマスコミの問題と片付けられないところに深い闇の国民性、権力に対する人間の憧れ、干渉できない内なるもののドグマが秘められている。



結論は、五百旗頭真教授は軍事関係者、即ち平和主義者ではない。平和とは全く裏腹なミサイル戦略専門家である。今回、自ら軍事関係者と名乗り出たことによって平和を脅かす注意人物のランクは透明性の意味でやや平坦になった。そして、各紙の報道から、日本は完全にリベラルという言葉に多目的複合価値を融合させている、国民は映像と言葉を同時限で鵜呑みする次元に在ることが解った。従って、本質的に注意を必要とする人物は、個人ではなく、「平和」を憧れ妄信する私達こそが「注意人物」と称される集まりではないかということだ。

政治ニュース 昭和天皇の『心』」


2006年7月23日、サンデープロジェクトは、小泉首相サミット帰国後の最後の話題、8月15日の靖国参拝問題の企画をもった。タイトルは「靖国神社のA級戦犯合祀問題・昭和天皇発言メモの波紋」である。20日発表された昭和天皇の靖国メモを検証するかたちで行われた。
昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示したとされる当時の宮内庁長官富田朝彦氏(故人)メモの存在が明らかになったことから、8月15日靖国参拝問題が一気にクローズアップされた。



出演者四氏による討論は、富田メモそのものに対する見解から昭和天皇その人について論じられた。桜井よしこ氏は天皇制の問題になると頭脳一時梗塞状態になる傾向が以前から見られるが、やはり、今回も如実にその結果が出た意見に終始した。即ち、富田メモそのものの信憑性を検証しなければならない。所謂、天皇がそのようなことを言う筈がない。これに対しては、さすがポーカー・フェースの加藤紘一氏は切れ気味に歴史事実認識の欠如を批判していた。管氏も同じである。従って、昭和天皇の靖国参拝中止は、75年の三木首相参拝をきっかけに靖国参拝が政治問題化したことに対する配慮説とA級戦犯の合祀に不快感を示した「A級戦犯合祀」説があったが、今回の富田メモにより「A級戦犯合祀」説が確定したという加藤、管両氏の結論が受け入れられたという雰囲気にはなった。田原氏もそれに対しては同調した。従って、これだけを見ると良かったではないかということになるのだが、しかし、この結論に至る過程で信じられない議論が展開された。その内容は、昭和天皇が「A級戦犯合祀」に反対であったという事実をもって、また、終戦後、いち早くマッカーサーに「戦争の責任は全て自分にある、処罰は全て私が受ける」というそれこそ検証がいる発言を持ち出して、昭和天皇は「平和主義者であった」と肯定した。先ず、桜井、岡崎、加藤、管諸氏が肯定して、最後に田原氏が駄目押しをして対談を終了させてしまった。



私の世間知らずはさて置き、昭和の何年ごろから昭和天皇は「平和主義者であった」という人格評を歴史的に肯定したのか、甚だ仰天もののお話に唖然としたのは私だけだったのか。確か、昨年11月27日、立川・昭和記念公園に「昭和天皇記念館」が開館したというニュースがあった。なんでも、「昭和天皇は国民の幸せと世界平和を生涯願われていた」、昭和天皇を称揚する記念館だという。これから推測するとこの記念館をもって「昭和天皇は平和主義者であった」という国民の常識に定着させていたとも考えられる。そう考えれば、サンデープロジェクト参加者、右の方も左の方も全てこの結論の合唱になっても可笑しくないと考えられる。そうして、これを観た人は本当に「昭和天皇は平和主義者だったのだ」と安心して信用、語り継ぐであろう。



恐ろしい話だ。国民自体が捏造してしまえば立派にその国の国柄になってしまう。戦後史を生きてきてこれ程面食らった恐ろしさを体験したことがない。そして、これが恐ろしい現実でない日常と仮定したとすれば、それは最早、日本の常識は何でもありということになる。
そう言えば、「新世紀の同盟国」米国では、コソボ攻撃と米国の自信に繋げたスーザン・ソンタグの「正義の戦争」が既に平和主義者の常識になっている。

特集・福井日銀総裁−3


村上ファンドの問題は政治ニュースと関連が深い。やはり無自覚は恥の上塗りに終わりそうである。いや、終わらせなければならない。
既に、「投資家リスト」も出まわり政界スキャンダルに発展する可能性も出てきた。しかし、それよりも、日を追うごとに、本人の当初からの利殖目的の関係発言ならびに資料が出てきている。日日が嘘発見器になっている現状は、傷口を自ら切開しているのと同じであるにも拘らず無自覚がそれを覆うことになっている。普通であれば、家族とその周辺がことの起こりの時点で展開を予測して辞任を促すのが常套手段である。発覚時、2度の辞任だけは避けたいとの本人、周辺の思いが解らぬ訳ではないが、情けが仇ということが魔の一瞬になったということだろう。そして、自らそのタイミングを逸してしまったということも考えられる。欲がましさは歳を忘れさせるということがある。本人の「どうしてお金儲けをすることが悪いのか」という素朴な発想は、村上氏が「私が儲け過ぎたので、皆さん私を嫌いになったのでしょう」という発言と同じ幼稚知的次元だとの理解ができないのと同じで、要するに世間を小馬鹿にしているのだ。この福井日銀総裁と無自覚が全く同じなのが「規制改革・民間開放推進会議」議長をつとめるオリクッスの宮内義彦会長である。皆さん同じ穴のむじなということだ。



ところで、もう一押しのところまできている。やはりここは、横浜・港北区近郊の方々は、マスコミだけの張り付きに任せず福井総裁自宅前で“夜討ち朝駆け”で無言の怒り張り付きでもしてはどうか。市民の運動も、99年の周辺事態法物語から政府と権力に好き放題、やりたい放題の惨敗になっている。ここらで一勝をもぎ取らないと先々思いやられることにならないか。兎に角、方法は何でも良い、どうせ責任のない実践だ。もう一押しだ。

北朝鮮 ミサイル発射恐れるに至らぬ


北朝鮮ミサイル発射政治ニュースから10日余りが経過した。北朝鮮の意図、ミサイル技術、戦略的能力がやや解明されその全貌が明らかになってくると同時に、日本人の民族性、特に明治近代からの民族性、脱亜入欧政策、アジア蔑視政策が脈々と続いていることに驚かされる。国連安保理への拙速、強硬な制裁決議案を日米同盟共同制裁決議のかたちで迫っていく外交手法は、相も変らぬ従属外交を際立たせたに過ぎない。結果的に国際的非力さを露呈した。金を出している用心棒には仕事をしてもらわなければ損である。愛人に金を貢いでいるからその金の代償をせまるという損得勘定で外交を展開する安倍、麻生、額賀各氏の外交能力には呆れてしまう。このような判断は一般庶民が一瞬よく思いつくことであり実行することだ。本当に真剣に日本の国土と国民の安全を考えているのであれば、特に近隣アジア国から笑いものになるような拙速、短絡的、品行に欠ける、何かといえば文化、伝統を口にする国柄の取る外交手段ではない。さらに厭きれるのは、安保理修正案の採決に対して、バーゲニングに成功したといって互いの恥の嘗めあいで幕引きしている様である。いつまでも米国の手のうち外交でしかないことを思い知らされた結果を、未明の大騒ぎをしたマスコミ、国民はどのように判断するのか。以前からそうであるように、現在も主権国家としての体、国民としての民族性を成していないのではないか。永遠に属国日本だと言われ続けても致し方ない。



日本の脅威を優先しているのは、敵地攻撃、先制攻撃をも辞さないという虚勢反応で裏付けられているが、そもそも専守防衛論としてもこの論は破綻している、さらに「新世紀の日米同盟」にあっては単独敵地攻撃など有り得るはずがない。もし仮定すれば、その時は歴史の繰り返しで米軍から攻撃されることを覚悟しなければならない。現実的に考えて今日そのような判断はどこを突いても出てこない話である(しかし、日本の軍事、平和研究家は真剣に攻撃される可能性について言及している)。

本題の北朝鮮のミサイル発射を恐れぬに至らぬ理由について述べる。先ず、「米軍は北朝鮮を攻撃しない」というのが現実の帰結である。理由は極めて簡単、これは、ブッシュ政権以前のクリントン政権の時もそうであった。深層は、北朝鮮に軍事攻撃をした場合の国益と損害、費用便益分析の範疇を超えてしまう現実が横たわっている。今回の発射ミサイルで正確さを誇ったスカッドCは韓国ソウル、ノドンは沖縄を標的にしている。所謂「在韓米軍」と「在日米軍」を標的に出来る。問題は38度線からソウルはいかにも近距離過ぎるという地理的戦略不可能な条件にある。これはクリントン、ブッシュ両大統領が現実にヘリコプターで上空視察しての最終判断である。ここで日本人は在韓米軍について少し考えてみる必要がある。朝鮮半島分断の歴史的背景から韓国民と米軍の関係は、日本におけるそれとは比較できない歴史的契りがある。また、自国防衛から米軍との一体はこれからの「在日米軍再編」を彷彿とさせる蜜月時代を経験している。
所謂、韓国に米軍は根ざしている状態にあるという現実は既に半世紀の経緯は伊達に推移していないということだ。現在、在韓米軍の兵力は約3万5千人といわれている。家族を合わせれば相当数の人数になる。従って、今回のスカッドミサイルの攻撃を受ければ必ずかなりの死傷者を出すことは火を見るよりも明白なことである。



以前、金正日総書記は朝鮮半島を「火の海にしてやる」と豪語したことがあったように、そのミサイル数は500基ともいわれ、狂った野望はとんでもない結末を披露しないとも限らない。従って、米軍はその為の敵基地ピンポイント攻撃による壊滅作戦を虎視眈々と狙っているのだが、上述したように、国境からソウルは近すぎるのである。発射された場合は確実にミサイル何発かは着弾する。従って、被害を避けることが出来ない戦略環境での戦いを宿命づけられている。
現在、米軍はさらなる泥沼化したイラク戦争で2千5百人以上、さらにアフガニスタで戦死者を出している。その為にブッシュ政権への批判が集中して政権最低の支持率に落ち込んでいる。その為の回復パフォーマンスは、拉致問題への共感、小泉首相とのプレスリー墓参り等の並々ならぬ努力を繰り広げている。この状況においてイラク以外で多数の死傷者を出すということは、論外中の論外なのである。
ブッシュ政権は疎か共和党自体の出番がなくなる事態に発展しかねない最悪のシナリオを選ぶことは絶対的に無いということだ。
然らば日本は何も「恐れるに至らぬ」ということだ。
敢えて一言補足すれば、現在においても、ブッシュ政権は過去のクリントン政権の北朝鮮との「米朝枠組み合意」の失敗を詰ることがあっても、一期目のアーミテージ氏の主張した対話促進戦略が政権内でなお生きていることが挙げられる。



最後に、今回の北ミサイル発射問題の結論として言えることは、盲従小泉外交のお陰で、「新世紀の日米同盟」の威力をすぐさま誇示したかった安部官房長官の自信は、完全に虚勢でしかなかったということだ。日本の強行主張があっさり削除されているイギリス、フランス調停案が全員賛成の採決に至ったことから、如何に米国の心変わりが計算付くのものであり、空虚なものであったかということだ。単に熱々の愛人関係を演じさせられているかを理解しないで、ポスト小泉の存在感を強調するめでたさには、次期総理の資質が完全に欠落しているとしか言いようがない。北ミサイル発射を受けて、強硬制裁さらに敵基地攻撃論など、ポスト総理の足固めに利する魂胆は盗人猛々しいとの謗りを受けてもやむを得ない言動である。
くれぐれも忠言したい、マスコミ諸君、外交政治記事は単なる事件記事でないことは十分承知している筈だ。謙虚な沈着冷静な対応と判断に基づいた記事掲載を心掛けるようにお願いする。また、今回マスコミ報道に便乗した平和活動市民団体の声明にはいささか興醒めさせられた。思慮をめぐらした相方向性のものでなければ「平和」の語源がイデオロギーでしかなくなる。拙速な実践は反って運動の力を削ぐ結果をもたらしかねない。
そして、今回の未明の騒ぎの根拠になった関係者に告げておきたい。政治家ならびに「家族会」とも拉致問題を政争の具にしてはならない。況して、平和を脅かす経済制裁など口走ることはもっての外である。

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北朝鮮 ミサイル発射と武力攻撃事態法


武力攻撃事態法は専守防衛論が基本原則である。その3には、武力攻撃予測事態(武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう。)がある。また、武力攻撃予測事態においては、「武力攻撃の発生が回避されるようにしなければならない。」と決められている。
さらに、日本に武力攻撃が予測される事態に対しては、事前排除ならびに防御の為の敵基地の先制的攻撃が可能とされている。所謂、防御の強化自衛権の行使、先制的自衛権が認められるという解釈になっている。従って、国民は、安部官房長官、麻生外務大臣、額賀防衛庁長官の発言は極めて真面目な慎重な発言だと受け止めなければならない。ご承知のように、2003年6月国民の圧倒的多数で有事法制関連7法を決めた経緯は生々しく記憶されている。



あるML上に、北朝鮮ミサイル発射問題のマスコミ報道について、「ヒステリックな世論を創って、イケイケドンドンで「敵地攻撃能力→先制攻撃できる自衛隊」にしてしまえば、憲法9条は「お守り」にもならない。こんな発言が、閣僚からポンポン飛び出して、誰も歯止めがかけられい。
実質的な「憲法停止−非常事態宣言、戒厳令−状態」とも言えます。」という意見が投稿されていた。現状認識に基づいた極めて真っ当な意見だ。しかし、既に政府はこの指摘に対する法的根拠を策定している。昨年郵政改革問題で採決に至っていないが、既に自民党、民主党、公明党3党での「緊急事態基本法」の合意が出来ている。さらにその時に、本日の安部官房長官の発言にある「敵基地攻撃・検討研究会議」も暫定的呼称「国家緊急事態対処会議」の新設も盛り込まれている。即ち、彼らにしてみれば既定方針通りの「備えあれば患えなし」なのである。残念ながら私達国民より先を走っているということだ。

「在日米軍再編」と国民保護法−2


NHK報道の「都の防災訓練に米軍が参加へ」について。
東京都防災対策課によると、NHK報道の防災訓練に米軍が参加という件は、現時点では要請、協議中とのことで、8月1日の公報でお知らせするらしい。平成18年度の総合防災訓練、足立区と合同(八都県市合同防災訓練)で実施するとのことだ。規模は2万人、そのうち陸、海、空、自衛隊が2千5百人程度の参加ということである。
東京都はこの3月に国民保護計画、「武力攻撃事態等において、都民の生命、身体及び財産を保護し、都民生活や都民経済への影響が最小となるよう、避難、救援等の「国民保護措置」を的確かつ迅速に実施する。」を策定している。所謂、自衛隊の都民の生命、身体及び財産を保護する為の自衛隊の合同訓練は現在、全国防災訓練の常識になっている。そして、「在日米軍再編」の下での自衛隊との一体訓練は既に始まっている訳で、条文的にも何も訝しいところがないと考えれば、石原都政としては当たり前的発想だと考えられる。



2006年6月1日の朝日新聞の記事、「米軍、長良川で訓練計画/岐阜県・郡上市に 政府通さず打診」で、掲載されている陸上自衛隊北部方面総監などを務めた志方俊之・帝京大教授(安全保障)の話では、「人命救助に日本人も米軍もない。」とはっきり断言している。それを裏付けるように、志方氏は石原都知事の要請により東京都参与として防災・治安問題のブレーンを勤めている。2000年9月に行われた銀座、丸の内防災訓練の陣頭指揮をとった。都の各行政機関での危機管理と対策について講師として指導に当たっている。
要するに「救助」は「避難」を最重点課題とするところに防災訓練と国民保護訓練が一体化する。さらに、行政は、最大の仕事になっている住民の生命と財産の安全確保を全うする為にあらゆる手段を最優先する行政権を持っている。これに逆らうことは住民に許されていない。権力の横暴が遺憾なく発揮できる状況を「訓練」そのものが包含しているのである。近年、自衛隊への支持率が急速に伸びた背景はやはり「防災」の状況にある。現在85%の支持率は90%になっても不思議ではない。さらに、自衛隊員への名誉的市民権さらに社会的特権が付与されるであろう。また、米国流州兵のような形式も考えられる。この辺は森本敏氏などが周到に考えてくれているだろう。



兎に角いかなる状況も今日可能な私達周辺になっている。全て防災、安全、災害復旧の為に行政と自衛隊の懇ろな関係が出来上がる。それに米軍との一体化訓練において、軍隊が私達の市民生活に根ざしてしまうのにそう時間を要しないだろう。そして、根を下ろした軍隊の活用範囲に止めがなくなる。6月28日、広島県は廿日市市での砂防ダム建設工事に陸上自衛隊の大型ヘリコプターを要請して着工を始めている。昨年の9月の和歌山県白浜町の防災訓練には、地雷敷設車が防災訓練車の看板をつけて突然住民にお披露目された。これらから考えられることは、国民保護法は、日本中はただ押し並べて自衛隊と米軍一色になるということだ。国民だけが知らなかったことである。
さらにご丁寧に、29日、日米首脳会談において小泉首相は米国の防波堤、中曽根氏の不沈空母になることの確約を共同文書で宣言した。「新世紀の日米同盟」というらしい、意味は世界の中の日米同盟、別称、日本の属国調印文書である。国民だけが知らなかったことである。全て何時も結果論、従って愛想尽かしの何ものでもない厭世観が蔓延、もうだれも怒ることすらなくなった。
以上を考えると国民保護法は米国の戦争の為の日本の軍事準備法といえる。従って「在日米軍再編」と国民保護法はセットになっていると考えてよい。これも国民だけが知らなかったことである。

特集・福井日銀総裁−2


お金というものは、あるところには有ると聞いていたが、やはり福井総裁も例外ではなかった。歳を取るとともに恥も多くなるのは世の習わしである。また、男の未練がましいほどみっともないことがないというのもよく言われることだ。日銀総裁ともあろう人がこの世間の常識を弁えていなかったとは仰天ものである。しかし、それはお金をもったことがない我々が考えること、いざ持ってみると想像もつかない金の魔力というものがあるらしい。
結局、からっぽの蜂の巣にされ、辞任を余儀なくされるのが読めないほど、のっけから国民を馬鹿にしているということなのだろうか。福井日銀総裁は、自己の思考経路が通用する次元とそうでない世界のあることが理解できない人種のようだ。そろそろ身内から「辞めてくれ」の愚痴が噴出してくるだろう。しかし、後任劇の茶番にもうんざりさせられ、とんだ藪蛇になるのが落ちだろう。もうそろそろ国民にも厭世観が蔓延してきてもおかしくはないのだが。

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