スーダン・ソンタグ 「叡智の声・具体的な認識」
【3月31日政治ニュース】3月19日の「再び内戦か」の後、テレビ、新聞等でのこれといったニュース発信が無いままで最終回になってしまった。
世界的関心が再びコソボに集まるのは、セルビアの欧州連合(EU)への加盟交渉をめぐる総選挙実施の5月11日前後だろう。
そこで、コソボ独立問題が投げかけたキーワード、「正義の戦争」について具体的に認識を深めたいと思う。
既に「正義の戦争」について、スーダン・ソンタグ氏と大江健三郎氏の往復書簡での対話を紹介しながら若干の見解を示してきた。今回さらに突っ込んで認識を整理したい。
発端は、1999年5月2日号「ニューヨークタイムズ・マガジン」に掲載された「われわれはなぜコソヴォにいるのか」で主張されている二行をめぐっての論議に始まる。
「すべての暴力がひとしく非難されるべきものなのではない。すべての戦争がひとしく不正なものなのでもない」というものだ。そして、スーダン・ソンタグ氏の返信に、「戦争は犯罪です。・・・なかには正義の戦争だとみなしうる戦争も、きわめて少数であれ、たしかにあります。戦争という手段をとらなければ、武力による侵略をやめさせる道がないという場合に限って。」と書いている。
また、戦争の撤廃は、文明の生んだ崇高な、もっとも崇高な大望です。戦争を嫌悪する心は、文明化された人間の証です。」。そして、問題としたい文言が続く、「大望や嫌悪の心があるからといって、人間が喜んですべての戦争を捨て去る段階に現実に到達したというわけではありません。」。この認識過程をスーダン・ソンタグ氏は「叡智の声・具体的な認識」と位置づけている。即ち、「善意があっても、思慮深くとも、直接の具体性にとって代わることはけっしてできません。」という米国流プラグマティズムの合理性の帰結を導き出す。
問題は、スーダン・ソンタグ氏が感銘を受けたという、ドイツの「緑の党」がNATO軍のコソボ空爆を支持してドイツが参戦したことである。ご承知のように、ドイツは大戦後の反省から、日本と同じ平和主義を支持してきた経緯があった。しかし、欧州連合(EU)NATO軍の一員として、初めての集団的自衛権の行使に踏み切った。ここで注目しなければならないのは、参戦を「緑の党」が表明した、即ち市民平和団体がドイツ軍の参戦を後押ししたという事実である。それは他でもない「人道的介入」という正義の戦争と判断したからだ。この時、スーダン・ソンタグ氏がそうであったように、市民の成熟した「叡智の声」として世界の多くの平和団体、市民が賛同したわけだ。そして、日本の9条護憲者を馬鹿にした経緯がある。今日、その馬鹿にされた護憲者もここ10年でめっきり少なくなり「叡智の声・具体的な認識」をもつ9条支持者が多くなった。
なるほどスーダン・ソンタグ氏の説得力ある主張には、よくよく考えれば納得しても可笑しくない、むしろ当然といえるかも知れない。
しかし、スーダン・ソンタグ氏がいみじくも指摘した、「人間が喜んですべての戦争を捨て去る段階に現実に到達したというわけではありません。」は、実は歴史は「すべての戦争を捨て去る」ことにはならないの裏返しと理解できる。そう、人間は「すべての戦争を捨て去る」決意をもたないのだ。これが現実である。「戦争は犯罪です」と認め、しかし、「対立は存在する、不正も存在する」。だから「叡智の声・具体的な認識」を弁護するという結論になったという苦渋の選択だ。
一見当然の帰結に思える「具体的な認識」だが、この段階で誰もが犯すであろう選択の間違いが常につきまとう状況に私たちが在るということを自覚する必要がある。
事実、ドイツはその後、米国との集団的自衛権行使をアフガニスタンで実践した、さらに悪いことには、昨年暮れメルケル首相は日本にアフガニスタン参戦を促しに来ている。戦争を始めた悪い友達はさらに友を呼ぶという、とても「叡智の声」とは考えられない誘惑を仕掛ける。これが現実だ。人間にとって、スーダン・ソンタグ氏がいう「段階の到達」などありえないのだ。
必ず起こりうる現実は、ものごとは膨脹する、連鎖を引き起こすことに尽きる。従って、「崇高な大望」など論じる前に、人間の本性をより冷淡に考えて、「武器を持つな」ということだ。
スーダン・ソンタグ氏は知識人ということであれば、両者に対して、「武器を放棄せよ」というしかない切ない宿命を受容することだ。現実の解決にはならないということではあるが、「段階の到達」がない以上、その「叡智の声」の解釈は、飛躍してしまい、取り返しのつかない歴史的汚点をつくる引き金を生む。現に同国の隣人ブッシュ大統領は、イラクに「正義の戦争」の御旗を揚げ先制攻撃を仕掛け無関係の人々を大量虐殺しているではないか。
また、「正義の戦争」だと軍事行動を始めたドイツは、その延長でアフガニスタンに侵攻している。さらに日本にも国際治安支援部隊(ISAF)への参戦を求めているではないか。そのお陰で、あらゆる懸案事項に対する政策能力が全くない福田内閣が、自衛隊の海外派兵を恒久的にできる「恒久法案」を国会に提出してまとめると言い出した。全くもってドイツの牝狐メルケル首相は疫病神だ。
タイトル「セルビア・コソボ 再び内戦か」の連載は、正義の戦争で始まったコソボ空爆は、今、コソボ独立を果たした結果になりつつあるが、その独立を果たす誘導になった空爆について、もう一度検証する意義があると考え始まっている。
注目は独立が成功するかに集約されがちだが、独立にともなう戦争が果たした今後も重要な過程としてみていく必要がある。
今日では、「人道的介入」という言葉は「国際平和協力」というフレーズにとって変わられ、日本もコソボにPKOで自衛隊派遣を検討している。しかし、平和協力のスローガンの下で相変わらず軍隊が機能することは断じて「独立と自由」を保障しないことを学ぶべきときだ。
その意味で今後のコソボ独立の行方に注目を払いたいものだ。
最後に
日本の自衛隊に残された唯一の歩むべき方法は、「人道的介入」の進化した「国際平和協力」などとは一切関わらず、名実相伴う「自衛」に徹することである。これが百歩譲っての結論だ。
さらに「段階の到達」が可能であれば、軍備縮小に専心することだ。
【完】



