2006年05月12日
日米同盟 星条旗が翻る
米海軍第7艦隊所属の「カウペンス」は定刻通り午前9時に入港した。前回と同様に第3岸壁は完全に警備体制が敷かれ、岸壁3百メートル前後、関係者以外は通行止めである。「カウペンス」の勇姿は、遥か対岸からでしか見ることができない。その岸壁すら港湾管轄の立ち入り禁止になっている。もっとも、市民が知り得たのは10日の一部夕刊記事でしかなかった関係もあって興味人などいない。
日米地位協定に基づく寄港に関しての県側対応窓口は前回もそうであったが、港湾管理課と国際交流課、そして、該当しない事柄対応の学事課ということになっている。それ以外は昨年春から正式発足している、国民保護法に基づく「危機管理室」である。そして、私達の対応については、危機管理室が全面的に行うことになっていた。ただし、関係者との話し合いについては、行政手続きを滞りなく行うことのみ終始している関係上、私達市民団体の問題意識など、全く意に要せず、段違いの見解表明に終始するのは何時ものことである。もはや、今日苛立たしくなくなる日米地位協定を受け入れる精神状況は、国民感情と同じ次元に還元されつつあることが不思議にさえ思われる。正に、平和運動を進める市民団体の危機的精神状況と言える。結果的に、核搭載可能な実戦配備の寄港前にトマホークを発射したであろう軍艦が寄港するよりも、私達日本人の戦争に対する、殺戮に対する不感症の方が、平和を最終的に脅かす不安定の「心」であるかも知れない。
在日米軍再編に伴う、日米地位協定のバージョンアップは私達、国民の想像するより以上の深刻な致命的な問題を内包していることが、今回の米海軍寄港で知ることができた。それは、寄港に伴う公報については、米軍の場合2日前のマスコミ、行政機関への通達であるが、市民の広報については、その24時間後、前日でなければならないという条件が付けられていることである。従って、今回も昨日の夕刊が一番早い広報になった訳である。在日米軍再編の自衛隊との合体が進めば、全ては、米軍主導のことに今後終始するということである。作戦上、国民への広報は少なくなり、且つ事前のものでしかなくなる。国民は全てその結果を事前に知らされることになる訳である。ある日、突然、「戦争状態に突入する」との広報を受けることもありうるということだ。翌日、出社すれば会社倒産の通達を受けることは日常よくある話だ。次元こそ違え、現実は同じ穴の狢である。
戦後50年間で2度の米海軍寄港でしかなかった、自衛隊基地のない一見平和な地域社会に今後、実戦配備されている軍艦が頻繁に寄港する可能性は今回で証明されていると考えられる。4月に秋田港に米軍イージス鑑が入港した時、県庁に星条旗と日の丸が掲揚されたのと同じ光景が和歌山県庁でも見られた。これが頻繁かする過程で、私達国民の日常に星条旗が自然な景色として侵食し始めるのに時を待たない状況であることが証明された。従って、今後全国至るところでこの光景を目にするであろう。これが、在日米軍再編による、日本の国民保護法制である。近隣国(外部)からの攻撃に備えなければならないと危機管理室は答弁した。これは政府が繰り返し国民にアピールしている外的からの防御である。従って、在日米軍再編の米側通達の受け入れが、最大の国益に適うと関係者は信じて疑わない。もはや後戻りできない岐路を通過してしまった観を呈するのがよく理解できた。
今後の寄港については、親善訪問と慰問を兼ねたかたちで日米交流が日常茶飯に行われるだろう。艦長と2名の美人将校がお供しての表敬訪問は、和やかな雰囲気に国内を包みながら、米国人の殆どが自国の戦争が何処で行われているのか知らない現実がよく話題になるのと同じように(イラク派兵に急先鋒の国会議員)、日本人もその精神範疇を創りつつ、加担していることを棚にあげた論議に終始して、気が付けば最前線に立っていたという、そして、国民の知らない領域での殺戮の連鎖を放置する社会状況になるであろうと想像するのに暇はいらない。
9条を守るということは、殺戮の連鎖を放置しては成り立たない。決して、「戦争の歯止め」的解釈に終始すべき条文ではない。世界に誇る戦争放棄の憲法と主張するのであればなおさらのことである。
日本は既に「新しい戦争」に突入している。そして、米国は「テロ戦争」は長期戦争に入ったと宣言した。今後、「新しい戦争」は長期の日本の宿命論に昇華してしまうだろう。この状況は、もはや「9条による歯止め」論は通用しないことを物語っている。依然としてそれを万能薬として取り扱うことは、それは教義であり、個人の信奉そのものでしかない。歴史は、宗教が平和を創らなかったことを証明している。
日米地位協定に基づく寄港に関しての県側対応窓口は前回もそうであったが、港湾管理課と国際交流課、そして、該当しない事柄対応の学事課ということになっている。それ以外は昨年春から正式発足している、国民保護法に基づく「危機管理室」である。そして、私達の対応については、危機管理室が全面的に行うことになっていた。ただし、関係者との話し合いについては、行政手続きを滞りなく行うことのみ終始している関係上、私達市民団体の問題意識など、全く意に要せず、段違いの見解表明に終始するのは何時ものことである。もはや、今日苛立たしくなくなる日米地位協定を受け入れる精神状況は、国民感情と同じ次元に還元されつつあることが不思議にさえ思われる。正に、平和運動を進める市民団体の危機的精神状況と言える。結果的に、核搭載可能な実戦配備の寄港前にトマホークを発射したであろう軍艦が寄港するよりも、私達日本人の戦争に対する、殺戮に対する不感症の方が、平和を最終的に脅かす不安定の「心」であるかも知れない。
在日米軍再編に伴う、日米地位協定のバージョンアップは私達、国民の想像するより以上の深刻な致命的な問題を内包していることが、今回の米海軍寄港で知ることができた。それは、寄港に伴う公報については、米軍の場合2日前のマスコミ、行政機関への通達であるが、市民の広報については、その24時間後、前日でなければならないという条件が付けられていることである。従って、今回も昨日の夕刊が一番早い広報になった訳である。在日米軍再編の自衛隊との合体が進めば、全ては、米軍主導のことに今後終始するということである。作戦上、国民への広報は少なくなり、且つ事前のものでしかなくなる。国民は全てその結果を事前に知らされることになる訳である。ある日、突然、「戦争状態に突入する」との広報を受けることもありうるということだ。翌日、出社すれば会社倒産の通達を受けることは日常よくある話だ。次元こそ違え、現実は同じ穴の狢である。
戦後50年間で2度の米海軍寄港でしかなかった、自衛隊基地のない一見平和な地域社会に今後、実戦配備されている軍艦が頻繁に寄港する可能性は今回で証明されていると考えられる。4月に秋田港に米軍イージス鑑が入港した時、県庁に星条旗と日の丸が掲揚されたのと同じ光景が和歌山県庁でも見られた。これが頻繁かする過程で、私達国民の日常に星条旗が自然な景色として侵食し始めるのに時を待たない状況であることが証明された。従って、今後全国至るところでこの光景を目にするであろう。これが、在日米軍再編による、日本の国民保護法制である。近隣国(外部)からの攻撃に備えなければならないと危機管理室は答弁した。これは政府が繰り返し国民にアピールしている外的からの防御である。従って、在日米軍再編の米側通達の受け入れが、最大の国益に適うと関係者は信じて疑わない。もはや後戻りできない岐路を通過してしまった観を呈するのがよく理解できた。
今後の寄港については、親善訪問と慰問を兼ねたかたちで日米交流が日常茶飯に行われるだろう。艦長と2名の美人将校がお供しての表敬訪問は、和やかな雰囲気に国内を包みながら、米国人の殆どが自国の戦争が何処で行われているのか知らない現実がよく話題になるのと同じように(イラク派兵に急先鋒の国会議員)、日本人もその精神範疇を創りつつ、加担していることを棚にあげた論議に終始して、気が付けば最前線に立っていたという、そして、国民の知らない領域での殺戮の連鎖を放置する社会状況になるであろうと想像するのに暇はいらない。
9条を守るということは、殺戮の連鎖を放置しては成り立たない。決して、「戦争の歯止め」的解釈に終始すべき条文ではない。世界に誇る戦争放棄の憲法と主張するのであればなおさらのことである。
日本は既に「新しい戦争」に突入している。そして、米国は「テロ戦争」は長期戦争に入ったと宣言した。今後、「新しい戦争」は長期の日本の宿命論に昇華してしまうだろう。この状況は、もはや「9条による歯止め」論は通用しないことを物語っている。依然としてそれを万能薬として取り扱うことは、それは教義であり、個人の信奉そのものでしかない。歴史は、宗教が平和を創らなかったことを証明している。