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2007年08月27日

どうする 民主党 新日米同盟(19)

【格物致知】 軍隊(自衛隊)は国のシンボルか(8)

軍備は自ら膨脹しながら統制外のシナリオで破壊をもたらす
佐藤議員

専守防衛隊であっても、軍備は自ら膨脹する、また「隊」は自らの価値基準で本来的に指揮命令系統が内在するもので、「文民統制」は断じて金縛りの法にはなりえないのである。
この鉄則的な現実が今回の元イラク先遣隊長、佐藤議員の発言である。



佐藤議員発言をめぐってその違憲性を弁護士、反戦市民団体が糾弾しているが、佐藤議員発言は決して一個人の思いつきではないことを石破茂・前防衛長官は、既に著書「国防」において「救出シナリオ」を書いているのである。「隊員を見つけたら(犯人に対して)説得を行い、武器を使わざるを得ないような状況になれば武器を使う」という。佐藤議員発言の正当性を擁護するものとなっているのだ。
従って、「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれる」という発言は、「裁けるものなら裁いてみろ」という裏返しで、防衛省制服組の「あまりに軽率な発言」は、本音と建前をわきまえろということなのだ。



結局は、極限的状況においては、「隊」は武器を行使するのである。こうしてみれば、武力を正当化せざるを得ない解釈は、決して「平和の構築」とはならず、反対の「戦争=破壊」にしか行き着かない。
そして、この論をよく考えれば、この観点では、佐藤議員と同じ発想が見えてくる。即ち、法的整備がないところでは、武力行使も十分あるということだ。武力は正義ではないが、戦闘状況を凌駕する方法論として生きてくるという現実論の理屈である。



そして、この現実論の理屈は、両者にかなりの自信を与えているものと考える。従って、佐藤議員は胸を張って「目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思うんですけどね。」という発言になり、伊勢崎氏は、「アフガニスタンの現状を武力でもって制圧するべし」と日本政府に助言することが出来るのである。



最後に

同盟軍に対する「駆け付け防戦=攻撃」は違憲である矛盾を抱きながら、あえてその違憲状況が予想される平和構築活動、貢献、人道復興支援については、日本政府は世界の先進国がどのような理由付けをもってしても参画すべきではない。現在の日本政府をとりまく世界の先進国と同じ価値基準で世界に対して戦略的でなければならない理由はどこにもない。残念ながら、あるのは国際関係に対して常に日本は、米国の要望国としての見解しかもちえないということだ。これを端的的確に言い当てたのが、小泉前首相の「日米関係さえ良好であれば全てよし」ということだ。その金縛りは現在も解けるどころかよりねじれた、錯綜したかたちで、一つ一つ糸を手繰るにはもはや手の施しようがない、これが現実である。



従って、現状の政府の状態では、「国際平和協力」、「人道復興支援」は、佐藤議員の公式サイトに掲げられている、「現場を知るからこそ、平和、命の尊さ、そして人の痛みがわかる」、また、伊勢崎氏の、「国際貢献は9条の心で」は、平和の周辺では意味をもつかも知れないが、しかし、武力を常に想定しての協力、支援であり、本質的には「武力」そのもの、「戦争」を誘発させるものである。
悲しいかな、「軍」であれ「隊」であれ、集合体そのものが「戦う」語源をもっている。これは私たちの外にある力で、「国民」はもとより「国家」からもしばし遊離することを運命づけられている。



自衛隊と天皇家は、戦争と平和のシンボリックな形式を共有して、矛盾を昇華するかたちで国民に浸透を図ってきた。現在ほどシンボリックな形式として安定した時代を迎えている時はない。



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