山場を迎えた防衛汚職 7
【12月5日政治ニュース】「民主党が見送りを決めたのは、野党共闘の足並みが崩れるのを恐れたことが最大の理由だ」は、体のいい便宜上の政治用語に過ぎない。野党単独の喚問議決には、ただ1人の共産党議員の賛成が必要だというのも難儀な話だが、説き伏せられない民主党の説得力の無さにもげんなりさせられる思いだ。「共闘」は建前だけかと訝しく思えてくる。
民主党の腰砕けと共産党の決断は、最近の稀な「巨大利権の闇」にメスを入れるチャンスをあえて反故にしてしまった。この功罪は政治的空洞化を加速させるだけに留まらず、私たちに対し、またも民主党の茶番政治劇でしかないことを見せつけた。
山岡国対委員長は、守屋氏と額賀氏が揃って初めて証人喚問の意義が出てくるのであって、逮捕は想定外のことだったと弁明しているが、果たして問題はそんな矮小化された宴席に同席したかどうかではないだろう。
野党自ら問題を特定してしまうから、町村官房長官から「ことさらに劇場型のように2人を並べて、どっちが正しいんだというようなことをやることが本当に国会にとっていいことなのか。よくそこは考えていただきたい」と述べさせることになり、周辺からマスコミからその通りだ、野党のすることは何時も大人気ないことだとの印象をあえて国民に披露する構図になっている。
与党の腐敗の真相究明が、反って野党の政治的幼稚さを見せる結果だ。
このような幼稚さがいつまでも残っているようでは、政権奪取など到底程遠い夢物語といわれても反す言葉が見つからないだろう。だからあえて小沢代表は「大連立構想」に乗ったのだ。その意味が未だに民主党として認識が共有できていない。
「仁義なき戦い」になるという常識
『喚問すれば、衆院でも与党が野党関係者の喚問を一方的に議決する「仁義なき戦い」になる−。こう懸念する声は共産、社民、国民新の各党に当初からあった。』(30日産経新聞)
卑猥さの最たる政治の世界にあって、野党が「仁義なき戦い」を恐れていて政治改革の何を実現しようというのか。膝を交えてテーブル上での変革論議は、何をもたらすのかを先日勉強したばかりだが、単なる高いものについた恥の上塗りでしかなかったようだ。