痛い政治ニュース

2010年 痛い政治ニュース 速報版

国際政治 北朝鮮

安倍内閣 今年から4月29日は「昭和の日」です


赤ベンツ

4月29日、各紙社説は「昭和の日」にちなんだ記事を掲載している。また、全国各地で「昭和の日」をモチーフにしたイベント紹介、政治ニュースを報じている。


 

改正祝日法は、「昭和の日」を、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日と位置づけている。
「社説」では、挙って政府の位置づける内容をそつなく紹介、論説している。最後のくくりは総じて「昭和がどういう時代であったのか、日本の将来がどうあるべきか、話し合ってみたい。」というものだ。
要するに、「昭和」という時代で、国民と苦楽をともに昭和天皇がいたという、日本天皇社会制を裏付ける歴史性を言及したものだといえる。



昭和天皇誕生日の4月29日は、平成から「みどりの日」として昨年まで18回を数え祝日として定着してきた。19年前に自民党自体が納得して制定した祝日法である。しかし、今、なぜ 「昭和の日」 なのかという経緯については、本日のマスコミ等政治ニュースとして一切報じられていない。



昭和公園

実は、7年前に「みどりと平和を愛した」象徴として「昭和天皇記念館」(昭和聖徳記念財団運営)建設が計画されると同時に、「みどりの日」を「昭和の日」に変える祝日法改正案を与党が出している。「みどりの日」の制定過程から2度廃案になった訳だが、2005年4月5日衆院本会議で自公民の賛成多数で可決された。この時は、国会論議が全くなく、マスコミも以前から無関心を決め込んでいた、産経新聞が3月26日、朝日新聞が辛うじて3月31日に記事にしている位で、他社に記事掲載はなく話題にならなかった。



その「昭和天皇記念館」は昨年秋から開館している。当然、「みどりと平和を愛した」象徴として昭和天皇を賛美した陳列に終始したものである。キーワードは「みどりと平和」であり、戦後、天皇と国民の一心同体的国策運動、「戦争と平和」の同基盤構造の「平和」側面だけを強調した開館になっている。そして、それを国民と共有する最大の式典が祝日「昭和の日」ということだ。



現在、私たちは、歳月による歴史認識の風化が一気に瓦礫と化すこと著しくなった時代背景で生きている。「昭和天皇記念館」は、私たちにとって何を意味するのか「昭和の日」の機会に考える必要がある。
因みに、1945年4月7日、1億総玉砕の命を受け、1億総特攻のさきがけになった戦艦大和が撃沈された日である。



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安倍内閣 国民投票法公聴会で異質発言


今井一

3月28日、憲法改正手続きを定める国民投票法案に関する初めての地方公聴会を大阪と新潟で開かれた政治ニュースが報道されている。
公聴会は各政党の推薦した有識者で行なわれ、大阪では「国民投票法案」の策定を積極的に進めてきたジャーナリストの今井一氏が自民、公明両党の推薦で意見を述べている。



自公推薦の今井氏は、憲法改正に当たって国民の意見を集約する上で「国民投票を行うことは有効である」と述べて、投票最低率の規定に関しては設ける必要はないと強調したことが記事になっている。



現在、国会では与党の修正案をめぐって民主党と攻防戦に入っている。昨年は与党案と民主党対案による審議継続の可能性が十分伺われる展開になっていたが、27日小沢代表の「民主党案を丸呑みしなければ反対する」との記者会見が政治ニュースで伝えられて一気に暗礁に乗り上げたかたちになった。なお、4月9日には民主党修正案が出される見通しである。



異質発言とは、投票最低率の規定に関して今井氏の「最低投票率があるとボイコット運動などが起き、議論が深まらない恐れがある」と強調した発言である。
今井氏は『「憲法九条」国民投票』の著書で、「9条改定は国民投票でしか決着をつけられない」とここ数年まえから主張を続ける。自民党の改憲は9条改定が前提である。国政選挙は投票最低率の規定は設けていない。即、今井氏の発言は自公の主張をそのまま協調したことになる。



実は、今井氏の「最低投票率があるとボイコット運動などが起きる」発言は以前から繰り返し主張されている。しかし、日本では政治的背景でのボイコット運動は、社会体制、民族体質から皆無である、あるのは社会的ムード(嫌気を誘う)として麻疹現象ぐらいだ。
今回の政治ニュースで、国民投票法案に対する今井氏の積極的な発言は、非常に偏った政治的発言でしかないことが推測され、今井氏のジャーナリストとしての資質を疑う結果になった。



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北朝鮮 山崎拓議員の異様な迫力


山崎拓議員

左のしかめ面の人物は、六カ国協議合意をすませた後の山崎拓・自民党前副総裁である。


しかめ面の原因は、安倍内閣御用達の拉致問題の進展が全く不発に終わったからだ。

私にとって山崎拓議員はどうにも得たいがしれない人物だ。旧自民党3Kトリオで党の重鎮であることは分るが小泉前首相、加藤紘一氏の議員資質と比べるとよく分らない。ところがこの山崎拓議員、こと北朝鮮問題になると態度が俄然、みずみずしくなり、強い感性の持ち主に豹変する。

中央公論3月号のコメント「北朝鮮政策で米国が方針転換したことに、安倍政権は気づいていないのか。圧力だけでは拉致問題も解決せず、ひいては国益を損なうことになる。」は、ズバリ、正解だ。山崎拓氏は他の議員と全く違う迫力で北朝鮮問題に取り組んでいる。

17日の毎日新聞でも『政府は拉致問題が前進しない限りエネルギー支援には参加しないとしているが、核問題と拉致問題は別だ。朝鮮半島の非核化の重要性は各国に共通している。日本独自の問題を上位に置くと、いずれ日本の孤立化を招くのではないか。・・・核問題が解決すれば、日朝平壌宣言に基づく日朝間の国交正常化交渉も行われ、拉致問題の進展にもつながる。支援せずに圧力をかけろというが、それでは拉致は解決しない。今の方法論で成功しないなら、政府は国民に対し責任を取るべきだ。』ときっぱり北朝鮮問題
の政策論を言及している。

安倍内閣国際政治を読み解く意欲、知識もない上に、間違った認識を呼び戻している。時代錯誤の首相による自民党の誤策と、米国への甘えの構造に対して発言した「日本はバスに乗り遅れる」は秀逸だ。

しかしながら、18日のサンデー・プロジェクトで手嶋龍一氏と出演した「核と拉致問題」で、捲し立て論調の手嶋龍一氏に、核と拉致分離論をきっちりと説明できないままに、「日本はバスに乗り遅れる」発言について非を認める発言をポロリと発してしまったりもしている。

この辺が私の山崎拓議員への評価を微妙にし、えたいの知れなさを感じさせるのだ。山崎拓さん、しっかりしてよ。

北朝鮮 6カ国協議・密約


北朝鮮核実験に対して日本全域から抗議の政治ニュースが流れて1ヶ月が経過する。そろそろせめて市民の運動側から冷静に立ち直っても良い冷却期間も十分かと考える。6カ国協議の日程は遅くても12月上旬と報道された。政府とマスコミ合体による危機助長は権力者同士で国民の反論の入る余地を寸断しているが、この状況に甘んじる精神抑止論は相変わらず国民の得意芸でもあるが。そろそろ真っ当な歴史的解釈に基づく状況判断の下に北朝鮮問題と日本国について議論し合っても良い時期に来ているし、この機会をおいて現実的展望ある議論に発展しないと推察する。



10月29日、日経コラムが吹聴する「日本にとってまさに『いまそこにある危機』である」とは一体全体、自己にとって何なのかを目を閉じてじっくりと思いめぐらして、何がみえてくるか判断する必要がある、その時期だ。「憲法上は核持てる」、「周辺事態法も検討するのは当然だ」と寝言、念仏論議に感けて、見ざる、知らん顔を決め込んでいた問題の蓋を思いっきりよく開けてどんな臭気がするか嗅ぎ分ける覚悟の時期に市民の運動も煮詰まってきた、そういう状況をつくりだすことが問われているのではないだろうか。幸い6カ国協議は蚊帳の外、結果が日本国の思惑と全く関係ない結末劇に驚愕しないように、本来の日本の問題を切磋琢磨する忍耐を持とう。もういい加減で米国の身勝手世界戦略を見抜き,米国の片棒担ぎに見切りを付けて日米同盟から独自路線を模索してもよい時期だ。それは決して「核武装論議を用意するものではない、東アジアの平和の均衡を展望する筈のものである。

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北朝鮮 ミサイルと注意人物


26日、朝日新聞大阪はトップ記事に真珠湾攻撃の政治ニュースを掲載した。8月15日が迫り、毎年何かと昭和天皇に関する貴重な資料が発見される。今回の45年9月25日、ニューヨーク・タイムズ記者とUP通信社長に回答した文書もその一つである。文書については記事を読んで判断して頂くとして、ここではタイトルの「注意人物」についてお知らせしておく。
一面のトップ記事の真下に、この文書についてのコメントが掲載されている。タイトルは「国体守るため個人に責任」とある。筆者は五百旗頭真(いおきべまこと・神戸大大学院教授・政治外交史)とある。
実は注意人物というのは、筆者当人のことである。



ミサイルブームの今日であるが、実は五百旗頭教授は北朝鮮ミサイル発射に対する戦略専門家であることは余り知られていない。教授が頻繁にハーバード大学へ客員研究員として渡米していた次期がある。4年前に遡るが、このハーバード大学での研究が対北ミサイル防衛戦略論である。
ハーバード大学は、開校当初から軍備技術開発さらに戦略立案面で活躍している国防省と二人三脚の大学である。広島への原爆投下は、当時の総長ジェームス・コナントが計画を推進して投下を主張したといわれている。キューバ危機の後、冷戦終了後は、専門学部として「ケネディ・スクール」と改名された。問題は日本の大学にも戦略的研究学部、教室を創設するというハーバード大学構想が具体的に持ち上がったことである。既に、中曽根前首相が上記の設立を提唱していることが2000年9月10日の読売新聞で報じられている。そして、常に権力の凄まじいところは、提唱記事がでれば直ぐに実現していくことである。理念先行がいつも揶揄される市民の運動とはここが完全に違う。



2001年、神戸学院大学、大阪大学、慶応大学、愛知文京大学、北陸大学と現実にゼミ形式で実施される。そして、2002年10月、神戸大学においても五百旗頭教授指導により「自衛官と学生の共同有事研究<」の実施が計画される。これで、教授のハーバード大学での研究がどのようなものであったか一目瞭然となった訳である。また、計画された共同研究の内容がどのようなものであるかは、既にその前年に実施された大阪大学学生のレポートで知ることが出来る。学生は自衛官との有事に関する対処を徹夜合宿で行い、未明疲れきった肉体と精神状況で、学生に対して北朝鮮がミサイルを発射した模様ですと自衛官が連絡、迎撃の決断を迫るというシナリオだそうだ。正に、今回のミサイル発射問題で安部官房長官、額賀防衛庁長官が此所一番と持ち出した「敵基地攻撃論」の実践が既に5年前に学生(戦略要員候補生)と自衛隊員と共にシュミレーションされていた訳である。



神戸大学の「有事研究」計画は事前に学生の知るところとなり、学内の学生ならびに教職員さらに市民の反発が相次ぎ、大きな学内問題となり結果的には実行されずに計画は中止された。これが2002年11月の神戸大学「有事研究」阻止事件である。事件と書いたのは、この時、学内の「神戸大学の有事研究を許さない会」と学校当局とで攻防があった訳だが、しかしこの時代背景では未だ学生の逮捕者が出るということはなかった。しかし、この学校側譲歩の一件から後、各大学は警察との一体化対策で連日の如くの逮捕劇が繰返されている現状は記憶に生々しい。そして、第二次小泉内閣発足後、一気にファシスト的弾圧に政権が様変わりした。つい1週間前のあっけに取られる「月桃の花」歌舞団員の逮捕など最たるものである。



7月20日、「防衛大学校長に五百旗頭真氏」のタイトルで記事が掲載された。そして、23日、毎日新聞「時代の風」で「防衛大学校の教育・国民の生命 担うために」が掲載された。さらに、27日、読売新聞「顔」に「第8代防衛大学校長に就任する」の紹介記事が出た、連日のマスコミ登場である。教授はこれらの欄で自らも被害を受けた阪神淡路大震災からの教訓を述べて、自衛隊の必要性を強調している。そして、自衛隊を「国民の生存の最後の手段として用意されている装置」と定義付け、今日自衛隊に求められているのは「多機能弾力的」なあり方が望ましいと説いている。それが、04年の「<安全保障と防衛力の懇談会」(未来への安全保障・防衛力ビジョン)の参加となる。ご承知のようにこの懇談会は「在日米軍再編」の基盤となった「2プラス2」への提言書を担うものであった。



さすがに小泉首相肝煎りだけあって言うことにそつがない。「多機能弾力的」とは巧く言ったものだ。災害救助からミサイル防衛までを言い包めているのだろう。しかし、よく考えれば、教授のこの発想は、硬いことを言う訳ではないが、憲法9条1項に抵触している。自衛隊を手段として弾力的機能化を計ってはならない。最近、自衛隊との共存、自衛隊3分割案、「専守防衛<」、「国際協力」、「災害救助」改編案等が流行りになってきているが、これは「多機能弾力的」の別モデルに過ぎない極めて危険な案である。災害救助は「救助」であり、専守防衛は「攻撃」である。救助と攻撃は全く異種語義であり、呉越同舟は出来ない。大規模災害に対する行政課題を棚上げにしておき、災害時に取り合えず自衛隊派遣でその解決を肩代わりさせ、これを妙案とするのは拙速もよいところである。結果的にこのような論議が野党から出ていることに改憲論議の根拠、温床を与えることになっている。


 

話を五百旗頭真教授に戻す。毎日新聞「時代の風」の冒頭、教授は防衛大学校長に就任したことで、「喜んで祝福してくれる人が多いが、なぜ、あなたのような人が、といぶかる知人もいる。私が軍事関係者のようでなく、リベラルに見えるので意外に感じるという」。ここで問題は、リベラルと平和主義者が同義語的に世間では共通的風潮扱いになってきている懸念だ。いよいよ、日本人は「平和」の言葉の意味を曖昧模糊化して「戦争」に対する責任回避、加担意識の除外を助長してきている。さらに、「正義の戦争」という言葉、リベラルを信奉してそこに「平和」を位置づけるという儀式、システムが日常化するのも時間の問題である。
文の冒頭は「喜んで祝福してくれる人が多いが」とある。常に周辺だけが熟知しているが、肝心要の国民が適切な判断が出来ない状況に今日ある。単純にマスコミの問題と片付けられないところに深い闇の国民性、権力に対する人間の憧れ、干渉できない内なるもののドグマが秘められている。



結論は、五百旗頭真教授は軍事関係者、即ち平和主義者ではない。平和とは全く裏腹なミサイル戦略専門家である。今回、自ら軍事関係者と名乗り出たことによって平和を脅かす注意人物のランクは透明性の意味でやや平坦になった。そして、各紙の報道から、日本は完全にリベラルという言葉に多目的複合価値を融合させている、国民は映像と言葉を同時限で鵜呑みする次元に在ることが解った。従って、本質的に注意を必要とする人物は、個人ではなく、「平和」を憧れ妄信する私達こそが「注意人物」と称される集まりではないかということだ。

北朝鮮 ミサイル発射恐れるに至らぬ


北朝鮮ミサイル発射政治ニュースから10日余りが経過した。北朝鮮の意図、ミサイル技術、戦略的能力がやや解明されその全貌が明らかになってくると同時に、日本人の民族性、特に明治近代からの民族性、脱亜入欧政策、アジア蔑視政策が脈々と続いていることに驚かされる。国連安保理への拙速、強硬な制裁決議案を日米同盟共同制裁決議のかたちで迫っていく外交手法は、相も変らぬ従属外交を際立たせたに過ぎない。結果的に国際的非力さを露呈した。金を出している用心棒には仕事をしてもらわなければ損である。愛人に金を貢いでいるからその金の代償をせまるという損得勘定で外交を展開する安倍、麻生、額賀各氏の外交能力には呆れてしまう。このような判断は一般庶民が一瞬よく思いつくことであり実行することだ。本当に真剣に日本の国土と国民の安全を考えているのであれば、特に近隣アジア国から笑いものになるような拙速、短絡的、品行に欠ける、何かといえば文化、伝統を口にする国柄の取る外交手段ではない。さらに厭きれるのは、安保理修正案の採決に対して、バーゲニングに成功したといって互いの恥の嘗めあいで幕引きしている様である。いつまでも米国の手のうち外交でしかないことを思い知らされた結果を、未明の大騒ぎをしたマスコミ、国民はどのように判断するのか。以前からそうであるように、現在も主権国家としての体、国民としての民族性を成していないのではないか。永遠に属国日本だと言われ続けても致し方ない。



日本の脅威を優先しているのは、敵地攻撃、先制攻撃をも辞さないという虚勢反応で裏付けられているが、そもそも専守防衛論としてもこの論は破綻している、さらに「新世紀の日米同盟」にあっては単独敵地攻撃など有り得るはずがない。もし仮定すれば、その時は歴史の繰り返しで米軍から攻撃されることを覚悟しなければならない。現実的に考えて今日そのような判断はどこを突いても出てこない話である(しかし、日本の軍事、平和研究家は真剣に攻撃される可能性について言及している)。

本題の北朝鮮のミサイル発射を恐れぬに至らぬ理由について述べる。先ず、「米軍は北朝鮮を攻撃しない」というのが現実の帰結である。理由は極めて簡単、これは、ブッシュ政権以前のクリントン政権の時もそうであった。深層は、北朝鮮に軍事攻撃をした場合の国益と損害、費用便益分析の範疇を超えてしまう現実が横たわっている。今回の発射ミサイルで正確さを誇ったスカッドCは韓国ソウル、ノドンは沖縄を標的にしている。所謂「在韓米軍」と「在日米軍」を標的に出来る。問題は38度線からソウルはいかにも近距離過ぎるという地理的戦略不可能な条件にある。これはクリントン、ブッシュ両大統領が現実にヘリコプターで上空視察しての最終判断である。ここで日本人は在韓米軍について少し考えてみる必要がある。朝鮮半島分断の歴史的背景から韓国民と米軍の関係は、日本におけるそれとは比較できない歴史的契りがある。また、自国防衛から米軍との一体はこれからの「在日米軍再編」を彷彿とさせる蜜月時代を経験している。
所謂、韓国に米軍は根ざしている状態にあるという現実は既に半世紀の経緯は伊達に推移していないということだ。現在、在韓米軍の兵力は約3万5千人といわれている。家族を合わせれば相当数の人数になる。従って、今回のスカッドミサイルの攻撃を受ければ必ずかなりの死傷者を出すことは火を見るよりも明白なことである。



以前、金正日総書記は朝鮮半島を「火の海にしてやる」と豪語したことがあったように、そのミサイル数は500基ともいわれ、狂った野望はとんでもない結末を披露しないとも限らない。従って、米軍はその為の敵基地ピンポイント攻撃による壊滅作戦を虎視眈々と狙っているのだが、上述したように、国境からソウルは近すぎるのである。発射された場合は確実にミサイル何発かは着弾する。従って、被害を避けることが出来ない戦略環境での戦いを宿命づけられている。
現在、米軍はさらなる泥沼化したイラク戦争で2千5百人以上、さらにアフガニスタで戦死者を出している。その為にブッシュ政権への批判が集中して政権最低の支持率に落ち込んでいる。その為の回復パフォーマンスは、拉致問題への共感、小泉首相とのプレスリー墓参り等の並々ならぬ努力を繰り広げている。この状況においてイラク以外で多数の死傷者を出すということは、論外中の論外なのである。
ブッシュ政権は疎か共和党自体の出番がなくなる事態に発展しかねない最悪のシナリオを選ぶことは絶対的に無いということだ。
然らば日本は何も「恐れるに至らぬ」ということだ。
敢えて一言補足すれば、現在においても、ブッシュ政権は過去のクリントン政権の北朝鮮との「米朝枠組み合意」の失敗を詰ることがあっても、一期目のアーミテージ氏の主張した対話促進戦略が政権内でなお生きていることが挙げられる。



最後に、今回の北ミサイル発射問題の結論として言えることは、盲従小泉外交のお陰で、「新世紀の日米同盟」の威力をすぐさま誇示したかった安部官房長官の自信は、完全に虚勢でしかなかったということだ。日本の強行主張があっさり削除されているイギリス、フランス調停案が全員賛成の採決に至ったことから、如何に米国の心変わりが計算付くのものであり、空虚なものであったかということだ。単に熱々の愛人関係を演じさせられているかを理解しないで、ポスト小泉の存在感を強調するめでたさには、次期総理の資質が完全に欠落しているとしか言いようがない。北ミサイル発射を受けて、強硬制裁さらに敵基地攻撃論など、ポスト総理の足固めに利する魂胆は盗人猛々しいとの謗りを受けてもやむを得ない言動である。
くれぐれも忠言したい、マスコミ諸君、外交政治記事は単なる事件記事でないことは十分承知している筈だ。謙虚な沈着冷静な対応と判断に基づいた記事掲載を心掛けるようにお願いする。また、今回マスコミ報道に便乗した平和活動市民団体の声明にはいささか興醒めさせられた。思慮をめぐらした相方向性のものでなければ「平和」の語源がイデオロギーでしかなくなる。拙速な実践は反って運動の力を削ぐ結果をもたらしかねない。
そして、今回の未明の騒ぎの根拠になった関係者に告げておきたい。政治家ならびに「家族会」とも拉致問題を政争の具にしてはならない。況して、平和を脅かす経済制裁など口走ることはもっての外である。

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北朝鮮 ミサイル発射と武力攻撃事態法


武力攻撃事態法は専守防衛論が基本原則である。その3には、武力攻撃予測事態(武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう。)がある。また、武力攻撃予測事態においては、「武力攻撃の発生が回避されるようにしなければならない。」と決められている。
さらに、日本に武力攻撃が予測される事態に対しては、事前排除ならびに防御の為の敵基地の先制的攻撃が可能とされている。所謂、防御の強化自衛権の行使、先制的自衛権が認められるという解釈になっている。従って、国民は、安部官房長官、麻生外務大臣、額賀防衛庁長官の発言は極めて真面目な慎重な発言だと受け止めなければならない。ご承知のように、2003年6月国民の圧倒的多数で有事法制関連7法を決めた経緯は生々しく記憶されている。



あるML上に、北朝鮮ミサイル発射問題のマスコミ報道について、「ヒステリックな世論を創って、イケイケドンドンで「敵地攻撃能力→先制攻撃できる自衛隊」にしてしまえば、憲法9条は「お守り」にもならない。こんな発言が、閣僚からポンポン飛び出して、誰も歯止めがかけられい。
実質的な「憲法停止−非常事態宣言、戒厳令−状態」とも言えます。」という意見が投稿されていた。現状認識に基づいた極めて真っ当な意見だ。しかし、既に政府はこの指摘に対する法的根拠を策定している。昨年郵政改革問題で採決に至っていないが、既に自民党、民主党、公明党3党での「緊急事態基本法」の合意が出来ている。さらにその時に、本日の安部官房長官の発言にある「敵基地攻撃・検討研究会議」も暫定的呼称「国家緊急事態対処会議」の新設も盛り込まれている。即ち、彼らにしてみれば既定方針通りの「備えあれば患えなし」なのである。残念ながら私達国民より先を走っているということだ。

北朝鮮 ミサイル防衛と集団的自衛権


15日産経新聞に「次世代遊撃ミサイル 共同開発最大3000億円」の記事が掲載されている。北朝鮮を仮想敵国としたミサイル開発も、新たなる脅威国中国を想定した三代目のミサイル新型SM3の開発である。一基時価15億円以上、断定できない金額が予想されるという、開発業者のおいしいお話し、中国が中距離弾道ミサイルを製造するからその対抗策で行う計画である。既にアリゾナ州で現行のSM3の発射訓練が日米共同で実施されている。この実態は12月6日「報道ステーション」、「ミサイル防衛最前線の衝撃」で放映された。国民にも周知の事実となったミサイル防衛の現実である。
 米国との共同ミサイル防衛作戦は技術開発から製造、そして共同訓練、その現実は日常化した観を呈する。
10月29日、在日米軍再編中間報告で詳しく日米共同による安全保障が述べられている。正に、ミサイル防衛計画を文言化して、国民に分かり易く報告している。残念ながら、マスコミ、国民の関心は28日に発表された自民党の「新憲法草案」に釘刺しにされているが。
 現憲法9条2項が集団的自衛権を抑止しているという幻想と願望の入り混じる主体は尊重しなければならないが、今の9条を守る運動の特化した成果が期待できたとすれば、それは、今日まで国民が許してきた解釈憲法の極みと言わなければならなくなる。国民が国民を説得、了解せしめたとしても、そこには、日本人の驕りと其の場凌ぎの東アジアでの孤立主義を際立たせるだけに終始することになり、結果的に日本人の民族性が問われることになる。本音と建前論は国内で通じても、国際的には無用の了解ごとである、時間の問題で破綻する。その時、日本の平和主義者はどのような講釈を宣ふのか、恐ろしいことだが目撃しなければならない。
 

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